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閑話
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北野家は東京都文京区本駒込五丁目付近?
北野家は東京都文京区本駒込五丁目付近にあるのではないかと推測します。北野家の前には「富士前公園」があります。第5回ではその公園で朝、智子(西尾三枝子)と礼子(坂倉春江)が良一夫妻を待ち伏せをするとこでもあります。
私の勤める会社も本駒込にあります。近くには六義園などの名所があり、神明坂などの坂の多い地域です。閑静な住宅街でしたが、最近ではビルやマンションが増えてきていますが、北野家は放映当時のまま現存しています。この機会に『お嫁さん 第二シリーズ』のロケ地巡りをしてみたいと考えています。 |
平塚の道子の母親みね子はPPMを愛するモダンな女性
道子の部屋を改装して孝子(呉恵美子)の部屋にしました。壁にポスターを貼る孝子に母親みね子(藤間紫)は「PPM(ピーター・ポール&マリー)なら許す」と話し、「風に吹かれて」や「悲惨な戦争」などの具体的な曲目を言ってモンダぶりを披露します。
PPM(ピーター・ポール&マリー)は、ピーターとポールの男性二人とマリーの女性一人の三人組みのアメリカのモダンフォークグループです。1961年に結成され、「悲惨な戦争」や「パフ」などの曲を次々ヒットさせますが、1971年に解散します。しかし、1977年に再結成し、日本にも訪れて美しいハモーニーを私たちに楽しませてくれました。 |
青春の思い出は机の下の片隅にこっそりと
結婚して初めての平塚の実家への里帰りで、孝子(呉恵美子)の部屋に改装されていた道子の部屋で、机の下の片隅に隠していた平塚の七夕祭りで買ってもらった思い出の姉さん栞を発見します。部屋は模様替えしても思い出はいつもでも道子の心の中にの残っています。
平塚の七夕祭りは、海軍火薬廠があった平塚市は昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、全市が焼野原と化してしまいました。戦後の復興が一段落した昭和26年7月には仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。特に日本一といわれる竹飾りの豪華さは有名です。 |
親父世代の愛唱歌の軍歌をギターの伴奏で唄う
義父良作(佐野周二)は、家や酒場で酒が廻ると愛唱歌の軍歌が飛び出してきます。若き日に満州の新聞社の支社で働いて義理父には良くも悪くも思い出深いことが想像できます。好んで唄うのは、「麦と兵隊」(作詞:藤田まさと・作曲:大村能章)、「戦友」(作詞:真下飛泉・作曲:三善和気)、「露営の歌」(作詞:藪内喜一郎・作曲:古関裕而)などです。また、結婚式の宴会や金子一郎(工藤堅太郎)を北野家に迎えての酒の席では与謝野鉄幹作詞の「人を恋うる歌」を唄います。この時代の父親世代の愛唱歌なのでしょう。 |
道子の父親の十八番・福島民謡の「会津磐梯山」
道子の父親善太郎(笠智衆)の十八番は、福島民謡の「会津磐梯山」です。第13回では商用の帰りに北野家を訪れ、酔いがまわったところでこの民謡を披露します。
《会津磐梯山は宝の山よ 笹に小金が成り下がる》と唄う「会津磐梯山」は、 会津玄如節の歌詞を借用しました。明治初年頃に新潟県の五ケ浜から会津若松にきた油締めの職人が、故郷・越後の甚句で阿弥陀寺境内で踊ったのが始まりといわれています。1935年(昭和10年)頃、この歌を小唄勝太郎さん(1904年〜1974年)が唄い”小原庄助さん、なんで身上つぶした…”の囃し言葉とともに全国に広まったようです。 |
ゴールデンウィークはロマンスカーで箱根に静養へ
北野家では、ゴールデンウィークを利用して良一の箱根にある会社の社員寮に行きことなりました。1999年(平成11年)7月16日に約36年の歴史に幕を閉じた小田急ロマンスカ ー3100形で箱根湯本駅まで行き、タクシーで社員寮へと向かいます。寮には偶然、道子の元同僚も泊りに来ていました。
寮からロープウェイで芦ノ湖湖畔へ行き散策します。夜は温泉で疲れをとり、ピンポンに興じ、若者たちと恋愛談義に花を咲かせ、有意義な家族旅行となりました。道子にとっても元同僚との再会や義理の両親と枕を並べ、満州時代の貴重な話が聞けた楽しい旅行となりました。 |
庭に花を咲かせて、縁台で涼みながら風流を楽しみましょう
北野家では義母のあや子(月丘夢路)が庭の手入の担当でしたが、道子から園芸が得意だと聞き義母は大喜びです。道子はサルビアや松葉ボタンなどを植えることを提案します。そして、良一がその種を買ってくることになります。良一の領収書紛失事件で元気のない道子を励ます意味でも、休みの義父良作(佐野周二)は壊れた縁台の修繕をしますが、完成して座った途端に壊れ、家族の大笑いを誘います。
また、領収書紛失事件で大慌ての良一はセロリやトマトなどの野菜の種を買って来てしまい、これまた道子の笑いを誘います。 |
良一は西部劇映画の大ファン、それに付き合う道子
バンコクに転勤になる同僚の坂本を見送りに行った帰りに良一と道子は有楽町で映画『帰って来たガンマン』を観ます。良一は西部劇映画のファンのようですが、道子はそれに付き合って観ます。偶然にも智子(西尾三枝子)と礼子(坂倉春江)も同じ映画を観るために切符売場の行列のなかにいました。
映画『帰って来たガンマン』は1966年にカルロ・リッツアーニが監督したイタリア西部劇です。出演はトーマス・ハンターとヘンリー・シルヴァで、当時のマカロニウエスタンブームが感じられます。 |
道子の元同僚の悦子役の香山ユリさんはポップス歌手
香山ユリさんは、道子の元同僚悦子役として出演しています。、第15回では良一に呼び出された道子と久しぶりの再会を果たし、第18回では同僚(南雲広子)の失恋を癒すために訪れた箱根の会社寮で偶然に北野家の人々といっしょになり楽しいゴールデンウィークを過ごし、第22回では道子の妹の孝子(呉恵美子)が好意を寄せる山崎(勝呂誉)の人柄を聞きに会社のビルの屋上で会います。
香山ユリさんは、歌手としても有名で私も「私のシャーベット(作詞:東逸平・作曲:萩原哲晶)」のレコードを持っています。甲高い可愛らしい声と独特な曲で印象に残ります。 |
出世魚のブリを家族に喩えて家族の絆を話す善太郎たち
金子家の初孫を見るために訪れた北野良作(佐野周二)たちに金子善太郎(笠智衆)は、ブリが成長とともに名前を変えることを家族に喩えて話し、その博学ぶりに一同感心します。
ブリの呼び名は成長に応じて変わり,その呼び名は地方によっても違います。関東では、20p未満をワカシ→イナダ→ワラサ→ブリと成長に従って呼び名も変わります。関西などでは、ブリそのものを「ハマチ」と呼びます。以上善太郎の講釈でした。 |
軍歌「水師営の会見」で盛り上がる北野良作と金子善三
金子家の初孫を見るために訪れた北野良作(佐野周二)に善太郎(笠智衆)は、海を見に行く口実で、酒の席を設けます。二人は得意の軍歌「水師営の会見」を唄い大いに盛り上がります。
「旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の」と唄う「水師営の会見」(作詞:佐々木信綱・作曲:岡野貞一)は、日露戦争における旅順攻防戦に日本が勝利し、明治38年1月5日に日本側乃木ロシア側ステッセルの両将軍は旅順郊外の水師営において会見の様子を描いた軍歌です。 |
お中元の酒を眺めて満足げに黒田節を唸る義父良作
酒豪の義父良作(佐野周二)は、北野家にお中元として次々に届けられるお酒を並べて満足げに「酒はのめのめ」と黒田節を口ずさみ上機嫌です。特に広島の酒は珍品と大喜びです。
黒田節は、安土桃山時代の武将で大酒豪の母里太兵衛の豪傑ぶりを伝えています。また、広島酒のうまさをうたってもいるのです。日頃から自慢していた広島酒があまりにもうますぎて、大事にしていた槍を取られてしまったという、ちょっと皮肉なお話です。 |
義父の会社の早朝野球に家族全員で応援に行くはずだが?
義父良作(佐野周二)の勤める新聞社の早朝野球を家族全員が朝5時に起きて応援に行くはずでしたが、結局妻あや子(月丘夢路)しか行きませんでした。前夜の良一が「亭主の好き な赤烏帽子」の引用が響いたのかも知れません。
「亭主の好き な赤烏帽子」は、主人が好むなら、どんな異様なものでも、どんな悪趣味なものでも、家族はその趣味に従わなければならないということの喩えです。今では「女房の好きな赤烏帽子」の方が実感があります。 |
蚊帳、縁台、浴衣、風鈴、花火と夏の風物詩を楽しむ風流
雷の苦手な義父良作(佐野周二)は、妻あや子(月丘夢路)とともに蚊帳の中に逃げ込み(麻で作った蚊帳が電気を通さないものであることから言われます)、 線香を焚きます(雷が鳴るとき線香を立てれば落雷しないという迷信があります)。
夕立の後、北野家の庭では道子たちも浴衣に着替えて、団扇を片手に縁台で夕涼みをし、風鈴の音を楽しみ、花火に興じて夏の夜長を過ごします。この頃にはまだ、夏の風流を楽しむ生活の余裕があったように感じます。 |
見事な日本舞踊の舞を披露する名取で師範の呉恵美子さん
自由奔放でお転婆な金子孝子役の呉恵美子さんは、会社帰りに日本舞踊を習い見事な舞を披露してくれます。
呉恵美子さんは、1948年7月10日に秋田県で生れました。幼年時代より日本舞踊を習い、六歳の1954年(昭和29年)に舞踊コンクールで第一位になります。小学校から高校まで学び、中学時代の1963年(昭和38年)には正派西川流の名取、師範となる腕前です。『お嫁さん』でも習いに行く稽古場は西川流です。 |
主人公道子役の東山明美さんは歌手としてデビュー
主人公のお嫁さん道子役の東山明美さんは、日本テレビ「ホイホイ・ミュージックスクール」で認められ、1964年(昭和39年)10月に「私の恋人」(作詞:星野哲郎/作曲:川田はじめ)で歌手デビューしています。
主題歌の「お嫁さん」(作詞:岩谷時子・作曲:宮川奏・編曲:池田正義)も東山明美さん自身が歌い、澄んだ声が印象的です。その他には、1965年(昭和40年)2月発売の「ありがとうさようなら〜卒業の日」(作詞:星野哲郎・作曲小杉仁三)などがあります。 |
「さよならだけが人生だ」と惜別の記念写真
北野家の大阪栄転の朝に東京に残り良一と道子と大阪へ行く義理の両親(佐野周二・月丘夢路)・智子(西尾三枝子)・礼子(坂倉春江)が家の庭で惜別の記念写真を撮ります。漢詩に「さよならだけが人生だ」というのがありますが、出会いは別れの始まりであり、別れは出会いの始まりのように感じます。そして、各人が様々の思いを胸にそれぞれの新しい人生の門出を祝うかの如く笑顔で写真に納まります。 |
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